東京高等裁判所 昭和40年(う)833号 判決 1965年10月27日
被告人 関根嘉一郎
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の趣意は、本庄区検察庁検察官事務取扱検事阿部太郎作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は、事実の取調を行つたうえ、次のとおり判断する。
一 検察官の所論は、原判決は、「被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三九年三月一八日午後一時一〇分頃、大型貨物自動車(埼一い二四三五号)を運転し、県道新宿、神保原線を本庄市方向から児玉郡神川村方向に向つて時速約四〇粁の速度で進行し、同村大字元阿保五四七番地先の交差点に差しかかつたが、同交差点は、左右の見とおしがきかず、信号機の設備もなく、かつ、交通整理も行なわれていなかつたのであるから、このような場合、自動車運転者は、交差点の手前で一時停車するか、あるいは徐行して交差点左右の交通状況を注視し、他の車両が交差点に進入してこないかどうかを確かめ、安全であることを確認してから交差点を通過し、もつて事故の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然危険はないものと軽信して従前の速度のまま同交差点を通過しようとしたため、同交差点付近で、折から同交差点の右側道路から左側道路に進行しようとして同交差点に進入して来た堀川裕幸(当二五年)の運転する第二種原動機付自転車を、自車右側部に激突させて転倒させ、よつて、同人に対し加療約六ヶ月を要する左下腿開放性複雑骨折を与えたものである。」との公訴事実につき、被告人の業務上の過失が認められないとして無罪の言渡をしたのは、事実を誤認したものであつて、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないという旨の主張に帰する。
二 そこで、所論にもとづき審按するに、およそ、自動車運転者たるものは、いかなる場合においても、他との衝突を避けるにつき、そのなし得べき最善の措置を講ずべき業務上の注意義務があるのであつて(昭和九年(れ)第六四二号同年七月一二日大審院第一刑事部判決、刑集一三巻一〇二五頁参照)、道路交通法は、交通安全を図る建前上、その第三六条、第三五条等において、車両等の優先順位を定めているからといつて、これがため、優先順位の運転者に対し、運転上必要な注意義務を免除し、一時停止、徐行等をなすべき義務がないとしたものと解すべきではなく、もし、このような交通法規を守らなかつた車両等があつた場合には、これとの衝突を避けるためにも、徐行ないし一時停車の措置をとることができるよう注意すべき義務があるものと解するのが相当である。(昭和三三年(あ)第二一一七号同三四年二月六日最高裁判所第二小法廷決定の趣旨、刑集一三巻一号六六頁参照)
三 そして、原裁判所および当裁判所において取り調べた証拠のうち(省略)
を綜合して考察すれば、本件交通事故発生の現場は、埼玉県児玉郡神川村大字元阿保五四七番地先の県道新保原線と国道東京、小諸線とが交差する十字路交差点(以下、これを本件交差点という。)であるところ、被告人は、大型貨物自動車を運転して右県道を本庄市方向から児玉郡神川村方向に向つて進行してきたものであり、被害者堀川裕幸は、第二種原動機付自転車を運転して、右国道を藤岡市方向から児玉郡児玉町方向に向つて進行してきたものであること、被告人が進行してきた本件交差点手前付近における右県道の幅員は、約七・五メートルであり、(なお、前記三の1、8の各証拠によると、原判決が、右幅員を、約八・六メートルと認めているのは、誤りである。)被害者堀川の進行してきた本件交差点手前付近における右国道の幅員は、約六・六メートルであること、本件交差点の街角には、人家、生垣があるため、本件交差点に入る前の段階において、あらかじめ左右の安全確認を十分になしえない状況にあり、かつ、信号機の設備もなく、交通整理も行われていなかつたことが認められるのであつて、右各進路を進行する車両等が本件交差点において事故を起す危険があるので、自動車を運転して被告人の進行した方面から本件交差点に向う場合は、一時停止または徐行し、他の交差道路の左右から本件交差点に進入してくる車両等の有無を見定めて適宜な措置を講じ、本件交差点における事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものといわなければならない。しかるに、右証拠によれば、被告人は、当時、右貨物自動車を運転して本件交差点に向うにあたり、警音器を嗚らさず(道路交通法第五四条第一項第一号)、時速約四〇キロメートル位で進行し、本件交差点に入つた際他の交差道路の右側から時速約四〇キロメートル位で本件交差点に進入しようとしてきた右堀川裕幸の運転する第二種原動機付自転車を発見し、急停車の措置をとつたがまにあわず、本件交差点中央付近において、被告人の自動車を避けようとしてハンドルを右に切つた右自転車に自己の自動車の後車輪を衝突させ、右堀川を転倒させたうえ、同人に対し加療約六ヶ月を要する左下腿開放性複雑骨折の傷害を与えたもので、この傷害は、被告人の業務上の過失によつて生じたものであることが認められる。もつとも、前記証拠によると、右堀川裕幸は、本件交差道路の交通状況を顧慮することなく、時速約四〇キロメートル位で本件交差点に進入してきたものであつて、同人にも自動車運転者として業務上の過失の存することは明らかであるが、これがために、被告人の過失およびこれと右傷害との間の因果関係を否定することはできず、前記傷害は、右堀川と被告人の両名の過失が競合した結果生じたものであるといわなければならない。なお、被告人の進行した道路の幅は、右堀川の進行した道路の幅よりも広かつたのであるから、道路交通法の規定(第三六条)によれば、右堀川は、徐行をして進路を譲るべきものではあるが、道路の幅員の差異は、前記のように僅少であつて、目測によるだけでは広狭の別を識別しがたいものであり、かつ、本件事故現場は、前記のように、本件交差点の入口に近付かなければ、相互の見とおしのきかないところであるから、かかる場所においては、右法規上の理由および前記判例の趣旨から、被告人について、前記のような注意義務がないとすることはできない。してみると、原判決は、所論のような事実の誤認をおかし、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由がある。
よつて、刑事訴訟法第三九七条、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い被告事件について、さらに判決をする。
(罪となるべき事実)
被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三九年三月一八日午後一時一〇分頃、大型貨物自動車(埼一い二四三五号)を運転し、県道新宿、神保原線(埼玉県)を本庄市方向から児玉郡神川村方向に向つて時速約四〇キロメートルの速度で進行し、同村大字元阿保五四七番地先の交差点に差しかかつたところ、同交差点の街角には、人家、生垣があるため左右の見とおしがきかず、信号機の設備もなく、かつ、交通整理も行われていなかつたのであるから、かかる場合においては、自動車運転者は、交差点の手前で一時停車し、または徐行して交差点左右の交通状況を注視し、他の車両が同交差点の両側道路から交差点に進入してくるかどうかを確認したうえ交差点を通過し、事故の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠たり、漫然従前の速度のまま交差点に入つた際、折から同交差点の右側道路から時速約四〇キロメートル位で、交差点に進入しようとしてきた堀川裕幸(当二五年)の運転する第二種原動機付自転車を発見し、急停車の措置をとつたがまにあわず、交差点中央付近において、被告人の自動車を避けようとしてハンドルを右に切つた右自転車に自己の自動車を衝突させ、右堀川をその場に転倒させて、同人に対し加療約六ヶ月を要する左下腿開放性複雑骨折を与えたものである。
(証拠の標目)
前記三の1ないし9の証拠の標目と同一であるから、これを引用する。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内において、被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処し、右罰金不完納場合における換刑処分につき、刑法第一八条を適用し、原審および当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 小林健治 遠藤吉彦 吉川由己夫)